ひさしぶりに銭湯へ行った。
疫病が流行しているので、大きな声の会話は控えるよう貼り紙された銭湯は静かで広くて天井が高くて、湯気が立ちこめて無言の裸のひとがそろりそろりと行き交い、静謐で荘厳ですらあった。教会*1みたいだ。
露天風呂へ行くとまだ霧雨が降っていた。湯船に顎のしたまで浸かって、湯気と雨粒が混ざりあったまだらな温度を顔で感じていた。これが気持ちいいから露天風呂はいいよね。
室内へ戻る。浴槽のふちにデンと腰掛けているひとに気を取られつつカランの前へ移動する。だいたいこの銭湯は照明設計がすこぶる良い。私のいる体を洗う空間は見やすいようダウンライトで明るく照らされているけど、浴槽の側は照度をグッと落として湯船でくつろげるよう薄明るく設定されている*2。
肉厚でまろやかな直方体のような背中はその薄明かりに照らされてちょっと哀愁を漂わせていた。長年支えてきたもの、背負ってきたもの。いま銭湯にひとりで来ているこのひとは裸の背からそれを降ろして一息ついている。私とはちがうものだろうけどあなたも私もここではほんのひととき解放されている、そう思うと共に戦っているひとを見たような、そういうひとがいくらでも存在するんだということに気づいて気持ちがまるくなる。
銭湯から出るとだいたい世界平和は銭湯からはじまるんじゃないかって気持ちになっている。行きに着てきた上着は身体がぽかぽかでもう着られなかった。