へもか

憶測以上の確定未満

柔軟性

「コンピューターは人のように話せるか」と「デザインリサーチの教科書」を併読していて、人間は何が得意なのか、AI時代にいかに働くべきかという問いが共通して浮かびあがった。AIが苦手なことから人間が得意なことが見えてくるのはおもしろい。現時点でAIは具体的な情報から抽象的な問いを見出すことが苦手らしい。類似性の発見だとか思考のジャンプだとか、呼びかたはいろいろあるとおもうけど「あれがこうだったらな」という妄想は人間にとって簡単だけどAIにはまだむずかしい。

妄想は子供の頃からすきだ。いかに実現するかを考えるのもすきだ。そこに妥協や挫折はあったかもしれないけどカタチになっていくおもしろさと興奮ばかり覚えている。私の妄想を超える発想と実現するひとたちに何度も頭を殴られる。殴られたダメージが分からなければショックを受けられない自分にイライラする。

妄想を口にすることが恥ずかしくなって、家族相手か酒を飲んだときか半分冗談みたいな顔でしか話せなくなっても、そこから何か掴んでやろうとちょっと本気な自分がいるぞという気持ちが自我を支えているとおもう。

しかし私の妄想は飛距離がない。時間や規模や分野に対して興味と想像力と我慢強さが圧倒的に足りない。妄想はどうやって鍛えればいいんだろう。経験なのかな、柔軟性はどうしたら失わないでいられるんだろう。心配している時点でもう柔軟ではないんだろうか。

 

デザインリサーチの教科書

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