豊洲市場の件を見ていておもうのは"安全"な設計がもうどれだけ難しいのかってこと。
物理的な設計だけでは感情的な不安を和らげられる"安全"な設計はできないんだって思った。それはたぶん設計に携わるひとからすると一種の敗北かもしれない。素人は図面や仕様書から"安全"は読み取れないんだよ。読み取れないくせに設計者のことは信用しないんだ。なぜなんだ。
情報開示の駆け引きを含めたコミュニケーションや、ただセンセーショナルな話題をふりまきたいだけのマスコミを制御する政治的な部分も設計しなくちゃいけないんだろうか。そういう"安全"をデザインできるひとが必要なのかもしれない。
私の現在の仕事はあまり"安全"に関係ないけども、こういう話題を見ていると悲しくなってしまうよ。
真面目に仕事しているひとが報われますように。
今回の騒動から学べることがあるだろうか。