どうも、rintaroです。
2月に読んだ10冊の本の感想をまとめました。
オススメは「動いている庭」。
庭や植物を意識したことない人にはおもしろくないのかもしれないけど。
"植物の動きを庭の主題にまで高め、こんなに鮮烈な言葉と方法で実践している人物がいようとは"という訳者の言葉どおりの本。
2月(10冊)
- 世界の辺境とハードボイルド室町時代 - 高野秀行,清水克行
- 知って役立つ民俗学 現代社会への40の扉 - 福田アジオ
- 日本の文字 「無声の思考」の封印を解く - 石川九楊
- 岡井隆歌集 - 岡井隆
- 東京飄然 - 町田康
- おうちで作れる老舗のカフェスイーツ - 山村光春
- 勝手に!文庫解説 - 北上次郎
- 動いている庭 - ジル・クレマン
- ニューロマンサー - ウィルアム・ギブスン
- スプートニクの恋人 - 村上春樹
- 若い読者のための短編小説案内 - 村上春樹
「世界の辺境とハードボイルド室町時代」のタイトルどおり、世界の辺境と日本の中世は似ている!と意気投合する探検家と日本史研究者の対談本。
探検家の高野秀行も研究者の清水克行も磨きぬかれた並々ならぬ変人で、対談を通じて意気投合していく盛りあがりが良い。
"ソマリアの内戦は応仁の乱に似てる"とか、"辺境には雑炊がよく似合う"とか、その盛りあがりのなかで生まれた名文句がおもしろい。
「日本の文字」は書家である石川九楊による書字を通じた文字と文体に関する思索。
じっくり分析していくと漢字の一画がアルファベット一字に当たるとか、漢字の一画ごとに意味があるとは知らなかった。
筆で、縦書で、字を書かなくなったことで失われた日本語の意味がたくさんある。
指摘されるまで、日本語をキーボードでローマ字入力することに自分が違和感をおぼえていなかったことは衝撃だった。
文化も言語も何食わぬ顔で変わっていくものなんだなあ。
終盤、著者が現代の日本語にやたらめった絶望するのはちょっと辟易させられた。
「東京飄然」(2005年)は町田康のエッセイ。
町田康の小説は「夫婦茶碗」(1998年)を読んでいたが、エッセイと比較するに、町田康本人が生きる夫婦茶碗というかんじ。
町田康の日常への接し方が良い。
不満があって矜持があってみっともなくてありのままで、爽快。
知らない作家の小説を手に取るきっかけに、と読んだ「勝手に!文庫解説」。
溢れる文庫愛ゆえ紹介している文庫をまえに言葉を失っている様子に心和んだ。
ただ紹介された小説を数冊読んでみて、好みでない小説を読むのは苦痛ということが分かった。
登場人物の名前がいつまでも覚えられないってのは、たぶん、なんかしら駄目なんだろう。
ランドスケープアーキテクチャーで作庭家のジル・クレマンの造園哲学が書かれた「動いている庭」。
不変に執着する構造物とは違い、庭は"絶えざる変化が生じている特別な土地"であると説く。野原や荒れ地に潜む本当の自然、その可能性や命のきらめきを引きこんだ庭に思いを馳せる。
"植物を完結したオブジェと考えず、その植物を存在させているコンテクストから切り離さないこと"は良い庭に通底するマインドで、あらためて心に刻んだ。
"動いている庭"というコンセプトを書きあらわして以降はややダレる。
どんなことで自分を諦めたり自分が損なわれたり、あるいは自分を許せるようになり何に心安らぐのか。
村上春樹の物語は馴染んだ服に袖を通すように人物たちの内面から次々と物語を味わえる。
アイロニーな主人公"ぼく"が村上春樹らしい。
もっとも、軽妙なユーモアの最高峰は「パン屋再襲撃」(1985年)に収録された「ファミリー・アフェア」における兄、だと思う。(あの応酬が好き)
海外での講義をきっかけに、村上春樹が6人の作家を紹介した「若い読者のための短編小説案内」。第三の新人に偏ったチョイス。
美しく完全無欠な文章だけではなく、荒々しさや不格好さが生んだアンバランスな性格の文章の魅力をじっくりと読み解く。
こんな読み方ができるのか、とぞくぞくする。
文章だけでなく題材としても、"失われたもの"や"欠けているもの"に触れるのがよい。
個人的には丸谷才一が入っているのがうれしい。
2月は冊数が多いと思ったけど「知って役立つ民俗学」と「ニューロマンサー」は途中で断念していた。
「知って役立つ民俗学」はコラムごとに著者が異なり、読みすすめても思索が深まらず猛烈につまらなかった。オムニバス形式の本はエッセイ程度の内容が限界。
基礎知識があれば話題が他ジャンルへも広がっておもしろかったのだろうか。
「ニューロマンサー」はわたしが悪かった。ごめん。
主語の省略が独特なのか、動作の主を見失って混乱してしまい、盛りあがるまで集中が続かず断念。
サイバーパンクSFの名作と名高い本作、またいつか読もう。