どうも、rintaroです。
前後しちゃうけど、1月の読んだ本の感想をまとめました。
イチオシはなんといっても「本を読むときに何が起きているのか」です。
1月(8冊)
- 正直 - 松浦弥太郎
- ロング・グッドバイ - レイモンド・チャンドラー
- 伝わる・揺さぶる!文章を書く - 山田ズーニー
- 本を読むときに何が起きているのか - ピーターメンデルサンド
- あなたを選んでくれるもの - ミランダ・ジュライ
- 人間は料理をする 下 空気と土 - マイケル・ポーラン
- 走ることについて語るときに僕の語ること - 村上春樹
- 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 - 村上春樹
"丁寧"のエバンジェリスト、松浦弥太郎の「正直」。
正直にいってわたしに正直が不足しているのは分かっているので読むことにした。
肩書を訂正することになるが、著者は"丁寧"を越えすでに"心を働かせる=愛"というフェーズに移っていた。
豊かな人生を過ごすためにわたしがやってきたことは間違っていたのではないか、と思わざるをえない。つらかった。
一気にすべては吸収できないけど、すこしずつ実行していきたい。
苦しいときをどう乗り切るかのアドバイスもよかった。
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。
もー!超ハード!ハードボイルド最高!超クール!
「ロング・グッドバイ」はロサンゼルスで探偵をしているフィリップ・マーロウを主人公とした長編小説。翻訳は村上春樹。
探偵が主人公の小説、やっぱ好き。わたしにとっては読書の出発点みたいなジャンル。
訳者解説で村上春樹の指摘する「ロング・グッドバイ」におけるマーロウの小説的役割がおもしろい。
「伝わる・揺さぶる!文章を書く」はハウツー本のふりをして、"書く"をキーにコミュニケーションの心得を説いた本だった。
わたしはハウツー本や自己啓発本の類を好まないのでほとんど読まない。
「伝わる・揺さぶる!文章を書く」もタイトルからして惹かれなかったが(確か)友人が絶賛していたので手に取った。
やられたね。
「正直」と似た部分が多かったので同時に読んで混乱することもあったけど、あとから抜書を読みかえすと多角的に捉えられて良い。
装幀家による「本を読むときに何が起きているのか」。
これね、むちゃくちゃおもしろい。
読書というより、本というデバイスを利用した体験。本を超えている。
次のページにはどんな体験が待っているのか、仕掛け絵本をめくるようにドキドキしながら読んだ。
読書ってなんだろう!
読書とか当然だと思っていたことをグラグラ揺らがしてくれる本が好きだ。
すばらしい!
「人間は料理をする」の下巻。著者はアメリカきってのフードジャーナリスト、マイケル・ポーラン。
下巻では"空気と土"として、パンと発酵食品について書かれる。
パンのことを芸術品と呼んだり、パン職人のことを"「変換」をテーマとする複雑なシンフォニーの指揮者"と例えたり、とにかく食への愛が爆発。
この本のいいところは皿のうえの優れた食がゴールなのではなく、それを囲む人間関係や文化がどれほど重要なのか考えているところ。
おいしい食事にありつけるということがどれほどのコンテクストのうえに成立するのか、ちょっと泣いてしまうよね。
ちなみにNetflixからドキュメンタリーが配信されている。
村上春樹の9年前のエッセイ、「走ることについて語るときに僕の語ること」。
中学時代から変わらず今も読む作家というのは少なくて、そのうちのひとりが村上春樹。断言するけどファンではない。
ただ、密かに心に根を下していた村上春樹スピリッツが(そんなものがあればということだが)生まれながらの性質かのようにわたしの信条に馴染んでいて、エッセイを読むまで無自覚だった。もはや春樹の申し子、ハルキボーン。
小説は繰りかえし読んできたけどエッセイは興味がなく読まないでいたので、こんな人だったのかとおもしろかった。
ハルキボーンなのに文庫化されるまで読んでなかった。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、駅舎の設計技師の多崎つくる君が恋人に勧められて高校時代の悲しい出来事の真相を確かめるため当時の友人たちを訪ねて巡るお話。
高校時代の出来事をきっかけに何かを強く欲しがることがなくなってしまったつくる君。
だれしも人生を通じて自分の限界を知るうち手に入れたいものに無意識に上限を設けるのではないだろうか。手に入らないというショックや無力感から自分を守るための措置として。
そういう意味で村上春樹の描く諦観をまとった人物のなかでも他人とは思えない人物である。
そんな自分と向き合う過程でつくる君の感じた悲しさは共感できとてもよかった。
悲しさを共有すると痛みがやわらぐような気がするのはなぜなんでしょう。