どうも、rintaroです。
amazonプライムビデオになっていた「アノマリサ」を観ました。
人形をすこしずつ動かして撮影し連続させることで映像にするストップモーション・アニメーションの映画です。監督と脚本はチャーリー・カウフマン。
空港と飛行機のシーンから始まる映画冒頭は、人形らしいディテール(顔にパーツの継目を残している)となめらかに動くリアリティが共存する画に圧倒される。
観ているうちにどうやら主人公のマイケル以外の登場人物はみんな同じひとりの男性の顔と声しか持たないということが分かる。マイケルが驚いているふうでもないので随分前からこんな状況なのだろう。自分以外の他人は家族さえ同一の男の声と顔を持っている。
そんな状況に興味すら失っているかのようなマイケルだけど、ホテルでシャワーを浴びてぼんやりしていたところ女性の声を聞きつけ、ガウン一枚でホテルの廊下を必死の形相で疾走する。見つけた声の主はリサという女性でマイケルの著書を読んだファンだと、緊張しながらも興奮と喜びをいきいきと話してくれる。
マイケルはリサが戸惑うほど熱烈に口説いてベッドへ誘う。
あの生々しいベッドシーンは人形にやらせてこその凄みだと思った。マイケルの状況を考えればもっとロマンチックなシーンになっても良いはずだけど、あまりに普通で冗長なあのセックスは人間に演技させていたらただ滑稽で笑ってしまっただろう。あるいは悲しくて観ていられなかったかもしれない。
人形なら、腹の底から限度いっぱい観たくないと思いながらギリギリ観られてしまう。人形だと分かっていて顔をそむけたくなるリアリティというのも不思議。
翌朝、二人はまぶしい朝陽のなかホテルの朝食をとる。運命の女性と一夜を過ごした男性らしくマイケルは今の妻とは離婚するから結婚しようとかこっちに越してこれるかとか話を進めようとする。しかしリサの食事マナーが気になりくりかえし注意しては謝ろうとするリサを何度も「いいんだ」と言って遮る。
スマートにふるまえずぎこちない空気にしてしまったことに委縮して自信を失っていくリサが悲しい。
そのうちマイケルにとってリサもみんなとおなじ男の声と顔になってしまう。
マイケルは自分勝手で独りよがりなんだろうか。
だれでも無意識に他人を無個性な"みんな"として扱っていると思う。それが孤独だなんて、そんな青臭いセンチメンタルに浸るほど若くもなく無関心で蓋をしてきたのがマイケルだ。
やっとみんなとちがうリサに出会ったのに、みんなと声や顔がちがうという一点だけでマイケルはリサを知ろうとすることができない。朝食の席でマイケルはリサへ自己と相容れない不満を突きつけるだけだった。
朝食のあと、講演会で支離滅裂な演説をするほどマイケルが壊れてしまったのは、リサという可能性を失ったことだけでなくあいかわらず同じことを繰りかえす自分自身への苛立ちの現れではないだろうか。
結局、マイケルは同一の男の声と顔を持つ家族(家族と呼べるならの話だけど)のもとへ戻る。ああ人間は弱い…弱い生き物だ…
メイキングも評判がいいようなので観たい。