へもか

憶測以上の確定未満

外からみる台所2017

外からみる台所、2017年のハイライトを振りかえります。

 

かつてここまで隠れながら自己主張する台所の窓があったでしょうか。

 

両開き窓の横いっぱいに棚板が渡されているところ、そして模様入りの型ガラスが良い!
等間隔に置かれている鍋やヤカンも可愛らしい。

 

玄関扉の真横に台所窓。
方角的にはよく並ぶあるパターンだけど、隣はすごい。窓半分の吊り棚のベーシックさが良い。

 

「外からみる台所」の原点。たわんだ板がやはり味わい深い。

 

チェリーレッドのテントをかぶった台所の窓、かわいい!

以上、2017年の「外からみる台所」でした。

酒の味

酔うために飲む酒はみっともない。ごもっとも。ごもっともだけど、みっともないと思いながら酔うために飲んだことがあるし、またいつか飲むこともあるだろうな。そういう酒がひとを救うのか腐らせるのかは分からないけどそういう酒の味を私は覚えている。酔うために飲む醜態のあまりの凡庸さに自らうんざりしながら飲んだ。飲みつづけているうちに昨日も同じことを繰りかえしていたのも気にならなくなってすぐに寝られた。いつでも酒を味わい楽しむことができるならそれがいちばんいいよ。でもできない人や状況もあるかなって思います。

すごく飲んでいたように書いてしまったけど缶チューハイ一本で寝ていました。弱くて。すみません。

ラップトップのスタンドを買った話

とくに目的もなく行ったIKEAでちょうどいいラップトップスタンドを買った。

ほんとはナプキンホルダーだったんだけどね。

バネとかで閉じる仕組みはとくになくて、挟んでいるものの重さで閉じるだけ。斜めに立てかけるスタンドみたいにやたら幅の出る印象がなくてスクッと直立するのも良い。ホルダーの下と裏でごちゃごちゃとしたコードを隠せて、なんとお値段399円。

 

グラス(199円)とデミタスカップ&ソーサー(399円)も買った。安いグラスは脚が太くなって野暮ったいけど、この短さだとかえってレトロなかんじで良いね!

しかし今回はなんといってもラップトップのスタンドが最高の買いものだった。

 

贅沢なひととき

今夜は会社帰りに急な雨に降られてしまいました。雨の日に濡れた傘を持つのがいやで、雨が降っていてもギリギリまで傘をささない性分です。一見無神経なようですが電線の下は歩かない、繊細なこだわりがあります。電線直下は電線に溜まった大きな雨粒にベシッと打たれて、その雨粒一発で頭皮まで水が沁みる危険を孕んでいるからなんですね。
傘をさしているひとは知らなかったでしょうね。ふふふ。

逆に晴れた日はコンビニでシュークリームを買って外に出て、歩きながらかじって、何気なく断面を確認すると白いクリームが太陽を眩しく反射して目が焼けますので注意が必要です。
そのとき隣にだれもいないと、クリームで目が焼けるという発見を共有することができなくてそれはそれでつらいです。ニンゲンは共感したがる生きものだ、と本で読んだ気がしますがまったくそのとおりです。

断面といえば、私は手でちぎったトーストをもう一度近づけて、ぴったりもとどおりに断面がくっつくか確認してから食べるくせがあります。くっつくに決まっているんですけどね。このくせは最近完治しつつあって、よほど油断していないかぎり目視だけでもとどおりくっつくことを確認して食べられるようになりました。

どうですか、結論もなければ意味もない文章を読み無為な時間を浪費された気分は。木曜の夜にはあまりに贅沢なひとときですね。明日も贅沢なひとときをお過ごしください。おやすみなさいませ。

信じていながら

図書館で借りた「プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」を読んでいる。イギリスの刑務所で受刑者たちと読書会をひらくおばあちゃんの手記。

その読書会ではノンフィクションや手記が多く読まれていて、私の読んだ本とはほとんど重ならない。せいぜい「ライ麦畑でつかまえて」と「夜中に犬に起こった奇妙な事件」と「レ・ミゼラブル」くらい。

過酷な環境に人物が歪められたり乗り越えたりしていく姿に共感してほしくて、おばあちゃんたちはそういう感動的なノンフィクションを多く受刑者たちと読む。それってなんだか説教くさくてどうだろう。ほんとに自分の手で人を殺した人とどんな本を読んだらいいんだろう。何がおすすめできるかな。

そういえば、私はあまりノンフィクションやひとつの事件に関する手記などを読まない。ひとつの視点だけで物事をジャッジせざるをえない状態に置かれるのが不快だし、フィクションに引き起こされた悲しみや怒りなら虚構という薄皮一枚の境界を残せるけど、現実にもとづくものだとしたら、その感情との距離感をかんちがいしてしまう気がする。その感情が正しい、と感じてしまうような。

でもだれが現実を事実のままに正しく記録できるだろう。日記の一日ですら編集されている。逆に虚構だからこそ存在しうる怪物のように純粋な感情が私の感情とガッチリ結びついてしまうこともある。

私は疑うのが好きなのかもしれない。かもしれないって、この記述でも疑っているみたいになったけど、きっと断定しない不確定な状態に物事をゆらゆらと置いておくのが好きなのだ。憶測以上、確定未満。

そうだろうし同時にそうでもない。信じていながら信じていない。

時間

みなさん、作品自体には賛否両論さまざまあると思いますがDVDになった時点から、「LA LA LANDを観ている時間」と「LA LA LANDが観れるにも関わらずLA LA LANDを観ていない時間」、二種類の時間しかなくなったという事実には(驚くべきことながら)同意していただけることと思います。

それぞれの鏡のまえ

唐突なんだけど、髪を乾かすときにドライヤーの風をどんなふうに当てていますか。根元から毛先に向けて、なるべくドライヤーを寝かせて髪に平行に風を当てるだけでとてもサラサラに乾くんです、と信じているのだけど果たして本当か確かめたい。私以外の人にも試してもらいたくてつい書いた。

理屈としては髪のキューティクルの生えている向きに風を当てることで逆撫でしないからサラサラに乾くらしい。さらに髪が熱いままだとキューティクルが起きたままになってこすれていたむと聞いたので、冷風にして髪を冷ましてから完了ということにしている。

ドラッグストアで売っているレベルのシャンプーやリンスなら、商品で悩むよりドライヤーの当てかたを変えたほうがよほど効果があると、思っているくらいなのだけど。

もしかしたら効果があるんじゃないか、と中年ともなるとすがっている美容法のようなものが二つ三つある。

胡散臭くていまだに信じられないのが、「睫毛を増やすならニベアクリーム」。洗顔後に化粧水をはたいたら、掌に伸ばして温めて柔らかくなったニベアクリームを指ですくって睫毛の根元に塗りこんで保湿するだけ。

信じていなかったのに無毛地帯だった私の下瞼に下睫毛が生えそろってしまった。

嘘くさいというのは十分わかっている。でもそうなんだもの。

あと、結局フェイスパックは馬鹿にできないんです。Amazonの安いフェイスパックを買ってほとんど毎日パックしているけど、高校時代から粗くて毛穴の目立っていた頬の肌がすこし締まってきている。いまは学生時代より良い状態だとおもう。

フェイスパック、なぜか韓国土産でいただくほど世に蔓延しているだけあって意味がないわけなかった。

 

このように人それぞれ信じている美容法があって、それぞれの鏡のまえで無言のまま毎晩、毎朝、繰りかえされている。ちょっと気になっちゃうよね。