目黒のLANDについて
LANDは目黒にあるとてもおいしいカレーのお店。
なかでもポークカレーは、ピラミッド型に盛りつけられたごはんと、同じくらいの高さでそびえるとろとろぷるぷるのポーク! スパイシーな刺激に豚肉のグレイビーな旨み。
そしてこの美しいビジュアル。衝撃だった。
中毒性のあるおいしさのせいかわずか4ヶ月で全メニューを制覇した。
こうなると家でもLANDっぽいカレーが食べたくなってくる。
通称、家LAND。作ってみましょう。
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ラップトップが直立して、裏にコード類が隠せてスッキリ!
(ほんとはIKEAのナプキンホルダーです)
ガラスに厚みがあるので冷凍庫でキンキンに冷やしてウイスキーをいただいています。そしてスタッキングできちゃう。満足。
ハンズで300円くらいで買ったマーナのコップスタンド。
水も切れて埃もたまらなくて衛生的で気持ちいい。洗面台もゴチャゴチャしなくて、使った日から嬉しくてニヤニヤした。
半額になっているのを知った恋人が欲しがって、「3,000円ならいいんじゃない?」と言ったら家にGoogle Home Miniが来ました。
キッチンタイマー、アラーム、ラジオ、音楽プレイヤーとして主に使っているけど、音声指示だけでBluetooth接続してくれるのは地味に便利。
Googleアシスタントちゃんとのやりとりも愛着が湧いてまいりました。
もともと多脚ロボが好きなのですが、もしかして"無脚"というジャンルもありなのではないでしょうか。
壁掛けにしたら音もいいかんじ!(左隅です)
ワーイ! クリスマスプレゼントでブラーバがやってきました!
この世に生を享けたブラーバ(電源を入れた)。
ノーススターからの指示を待つブラーバ。
狭いところも細かく切り返して潜入するブラーバ。
と、このようにたいへんかわいい。しかも掃除しているんですね。
オススメはその場で旋回する動きです。ロボットっぽくてかわいい。
部屋にロボが増えたのがうれしい2017年でした。
外からみる台所、2017年のハイライトを振りかえります。
かつてここまで隠れながら自己主張する台所の窓があったでしょうか。
両開き窓の横いっぱいに棚板が渡されているところ、そして模様入りの型ガラスが良い!
等間隔に置かれている鍋やヤカンも可愛らしい。
玄関扉の真横に台所窓。
方角的にはよく並ぶあるパターンだけど、隣はすごい。窓半分の吊り棚のベーシックさが良い。
「外からみる台所」の原点。たわんだ板がやはり味わい深い。
チェリーレッドのテントをかぶった台所の窓、かわいい!
以上、2017年の「外からみる台所」でした。
酔うために飲む酒はみっともない。ごもっとも。ごもっともだけど、みっともないと思いながら酔うために飲んだことがあるし、またいつか飲むこともあるだろうな。そういう酒がひとを救うのか腐らせるのかは分からないけどそういう酒の味を私は覚えている。酔うために飲む醜態のあまりの凡庸さに自らうんざりしながら飲んだ。飲みつづけているうちに昨日も同じことを繰りかえしていたのも気にならなくなってすぐに寝られた。いつでも酒を味わい楽しむことができるならそれがいちばんいいよ。でもできない人や状況もあるかなって思います。
すごく飲んでいたように書いてしまったけど缶チューハイ一本で寝ていました。弱くて。すみません。
今夜は会社帰りに急な雨に降られてしまいました。雨の日に濡れた傘を持つのがいやで、雨が降っていてもギリギリまで傘をささない性分です。一見無神経なようですが電線の下は歩かない、繊細なこだわりがあります。電線直下は電線に溜まった大きな雨粒にベシッと打たれて、その雨粒一発で頭皮まで水が沁みる危険を孕んでいるからなんですね。
傘をさしているひとは知らなかったでしょうね。ふふふ。
逆に晴れた日はコンビニでシュークリームを買って外に出て、歩きながらかじって、何気なく断面を確認すると白いクリームが太陽を眩しく反射して目が焼けますので注意が必要です。
そのとき隣にだれもいないと、クリームで目が焼けるという発見を共有することができなくてそれはそれでつらいです。ニンゲンは共感したがる生きものだ、と本で読んだ気がしますがまったくそのとおりです。
断面といえば、私は手でちぎったトーストをもう一度近づけて、ぴったりもとどおりに断面がくっつくか確認してから食べるくせがあります。くっつくに決まっているんですけどね。このくせは最近完治しつつあって、よほど油断していないかぎり目視だけでもとどおりくっつくことを確認して食べられるようになりました。
どうですか、結論もなければ意味もない文章を読み無為な時間を浪費された気分は。木曜の夜にはあまりに贅沢なひとときですね。明日も贅沢なひとときをお過ごしください。おやすみなさいませ。
図書館で借りた「プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」を読んでいる。イギリスの刑務所で受刑者たちと読書会をひらくおばあちゃんの手記。
その読書会ではノンフィクションや手記が多く読まれていて、私の読んだ本とはほとんど重ならない。せいぜい「ライ麦畑でつかまえて」と「夜中に犬に起こった奇妙な事件」と「レ・ミゼラブル」くらい。
過酷な環境に人物が歪められたり乗り越えたりしていく姿に共感してほしくて、おばあちゃんたちはそういう感動的なノンフィクションを多く受刑者たちと読む。それってなんだか説教くさくてどうだろう。ほんとに自分の手で人を殺した人とどんな本を読んだらいいんだろう。何がおすすめできるかな。
そういえば、私はあまりノンフィクションやひとつの事件に関する手記などを読まない。ひとつの視点だけで物事をジャッジせざるをえない状態に置かれるのが不快だし、フィクションに引き起こされた悲しみや怒りなら虚構という薄皮一枚の境界を残せるけど、現実にもとづくものだとしたら、その感情との距離感をかんちがいしてしまう気がする。その感情が正しい、と感じてしまうような。
でもだれが現実を事実のままに正しく記録できるだろう。日記の一日ですら編集されている。逆に虚構だからこそ存在しうる怪物のように純粋な感情が私の感情とガッチリ結びついてしまうこともある。
私は疑うのが好きなのかもしれない。かもしれないって、この記述でも疑っているみたいになったけど、きっと断定しない不確定な状態に物事をゆらゆらと置いておくのが好きなのだ。憶測以上、確定未満。
そうだろうし同時にそうでもない。信じていながら信じていない。