へもか

憶測以上の確定未満

慣れない

公園を囲んで並ぶ黒々とした幹と白い線を引いて散る桜のはなびらが美しくて、雛を連れて帰った日の光景として覚えておこうと信号待ちのあいだじっと見ていた。車が動きだしてしばらくして運転席の母に「名前、トノコにしようかな」と言った。白い羽に混ざる模様が砥粉色にすこし似ていた。

お腹いっぱいになった雛が手のなかで寝はじめたときの、雛と私しか世界に存在しないような幸福感は他にない。加えてまるごと預けられている緊張感が湧いてくる。私が気まぐれに握ったら死んでしまうのに。雛の熱いおなかを包む私の手のひらがむっと湿った。

トノコが死んじゃったと母から連絡があった二日後、会社の昼休みに最寄りの図書館へ黙々と歩きながらそんなことを思いだして、思いだすことも祈ることも死んだものには何も影響しないなと思った。

生きているものが死んだものに関与できることは何もない。何も影響できなくなる。死なれるというのはこういうことだったのか。左右交互に突きだす靴の先を目で追いながら、いまはすでに動くことのない羽と肉と骨の小さな塊になっていて、硬くこわばってしまってすらいるだろうなというところまで考えて、急に取りかえしがつかないと思い知って、歩きながら泣いていた。図書館の自動ドアを通り抜けて本棚と本棚のあいだで立ち止まって泣いていた。平日の昼間のラテン文学の本棚のまえは人がいなかった。本と本のあいだ、文章と文章の、膨大な言葉と言葉のあいだで、私も等しく物語を持ってきて運んでいく存在に過ぎないのだと思うとすこし落ち着いた。

何ヶ月か経って実家へ寄る機会があり、母と父が埋葬してくれた庭の墓も見た。家へ帰ってリビングに入ると何も考えずカゴのほうへ歩いて鳥にただいまと言おうとしている自分に気づいた。まだ鳥がいないことに慣れないんだ。