愛が消え去り跡形もなくなったのなら、記録も一緒に消滅すればよいのである。しかし愛が消え去ったと思っている人間の心の片隅に、記憶というものが、いつまでも存在するように、記録もまた、永遠に存在するものなのだ。
(荒木陽子「愛情生活」p261)
荒木陽子さんのエッセイ集「愛情生活」(1997年)を読みました。
愛が消え去ったなら記録も一緒に消滅すればよい、と書いたその人が、残した愛の記録でした。
著者の荒木陽子さんは写真家の荒木経惟の妻であり自らも写真を撮りエッセイも書いていた。1990年に42歳で亡くなった。
色々と大変なことがあったような気もするし、今でもよくケンカをすることがあるが、しかし、(唐突なようだが)私は彼の体臭が好きなのだ。
(荒木陽子「愛情生活」p253)
ほんとうに唐突な匂いの話。
恋人の肌に鼻をあててかすかな体臭を吸いこむのも好きだし、外出用に香水を擦りこんだ香りも好きだ。ああ、なんだか匂いの話は無条件で切なくなるね。
それにしても写真て絵画と違うなーと思ったのは、生を見てるという興奮感がないんですね。
(荒木陽子「愛情生活」p275)
今迄に見た事もない表情の彼女がそこにいて、化粧をしているのに、いつもの化粧をしていない表情より生な感じがする。
(荒木陽子「愛情生活」p282)
何度か飛びだす言葉、生。(ビールではない)
生きていることの生々しさ、生成りの素、両方が合わさったような感覚かなと思った。この生に鼻が利くところが彼女らしい。
匂いは、生のひとつの発露だと思う。
今の瞬間に漂う、場のすべてが混ざりあった複雑なざわめき。
そういうのに敏感なところが、彼女が生きることを味わいつくそうと、臆することなく愛するところにつながる。
愛ってなんもかも同時に起きていて全部が地続きってかんじだった。
真剣で一生懸命で同時にだらしないズルズルした感触も楽しんじゃう。
この本を書いた荒木陽子さんが夫を残してすでに亡くなっていることを、読んでいるあいだにふと思いだして悲しかった。
こんな圧倒的な愛がなくなって、その記録を私が読んだんだ。
追記
この本は、大好きなはせさんが紹介されていたので読みました!