へもか

憶測以上の確定未満

占いが嫌いだった

どうも、rintaroです。

中学生くらいの頃だったか、動物占いが大ブームになった。

休み時間になると教室では動物占いの本を囲んで女子たちが輪をつくった。
当時の私はブームに乗っかるのが下手で(それはいまでもそうだけど)、「◯◯はサルだよ!」と勝手に私のことを占う友人*1の声に「ウッキキ〜!」などと答えるユーモアも持ちあわせていなくて(これも現在もない)、バカバカしいと思ったままの生返事をしていた。

なるほどクールだったのか、というとクールではなかった。サルというのは納得できず帰宅してからインターネッツで検索するただの根暗だった。

血液型占いや星座占いやそれに夢中になる人のことも小馬鹿にした時期もあった。当たっていると思わせる文章術の巧さのようなものを味わうなどというこまっしゃくれたこともした。

最終的にノータッチ、接触してもスルーというスタイルに落ち着いた。

が、ここのところ人が占いに触れて何か言っているのを見ていると、それは自分の生活や人生に関して自分とは違う視点を得ているように思える。他人の視点だったりもっと長期の視点だったり広域の視点だったり。

複数の視点や視野を持つことは大事だと分かっているけど難しいから。
それが占いを通じて日常的に鍛えられるとしたら、占いもちょっとおもしろいなと思っている。

*1:思えばあれは輪に入れない私(本人は"入ない"を選んでいる気満々)を気遣って声をかけてくれたのではないか。まったく気づいていなかった。私は阿呆か。