へもか

憶測以上の確定未満

まっとうの先にあるおもしろさ

どうも、rintaroです。

みうらじゅんの「『ない仕事』の作り方」を読みおえました。

じつはみうらじゅんのことはどんな人かほとんど知らず、近年にいたっては又吉直樹と混同していて(へえサングラス外すんだ)と思って見ていた。別人だった。
みうらじゅんが何をしている人か、ということは本に書かれているので知らなくても読める。読める、が一言で説明するのは難しい。

ポップな文章だけど、好きなことを仕事にすることは現実にどういうことか、あくまで冷静に順を追って書かれている。

好きなことを仕事にするにあたって、「ただ好きではない」、「自分を不在にする」という話がおもしろかった。

 

ただ好きではない

みうらじゅんが仕事にしてきたマイブームは最初から好きだったというより、なんかひっかかるというのがスタート。

何かを見たり聞いたりしたときに、すぐに好きか嫌いかを判断できるものは、そこで終わりなのです。好きなのか嫌いなのか自分でもわからないもの。違和感しか感じないもの。言葉では説明できないもの。私はそういったものに、グッとくるのです。

なんかひっかかったその違和感に近い"説明できないもの"を、なぜ自分がグッとくるのか突き詰めていく。漠然と好きなだけでは、対象のユニークな魅力や見せかたを考えることはしない。

好きってことはただポジティブなことだと信じて疑わなかったんだけど、ある種の思考停止でもあるなと思った。

 

自分を不在にする

メインは対象であり表現者としての自分はなくしたほうが良いということ。

たとえば、みうらじゅんの表現方法がさまざまな形(マンガ、イラスト、音楽、文章、TV番組、ラジオ番組、トークショウ等)になるのは、対象の良さを伝えるためにベストなスタイルを考えた結果。

最終的に面白いことが完成するのなら、すべてを自分でやる必要はないのです。

自分の表現スタイルに収まらなくても、結果的に自分の手を離れても、対象の良さが伝わりさえすれば構わない。自分が、という姿勢は制約になってしまう。

 

突飛なわけじゃなくて、まっとうに淡々とおもしろいことをやっている人は好きだな。

 

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方