どうも、rintaroです。
村上春樹の音楽評論集、「意味がなければスイングはない」(2005年)を読んだ。
ピックアップされていた曲やアルバムでApple Musicのプレイリストをつくったので、本の雰囲気は伝わると思う。
ジャズもクラシックもロックもフォークも流れるのでリストとしてはデコボコしすぎているけど、村上春樹が「スイングがある」とする音楽には通底するものがある。
どんな音楽にも通じるグルーヴ、あるいはうねりのようなもの
と、書かれているのだけどそれを生むのは以下のようなものだと思う。
「この音楽を通して、自分はどうしてもこういうことが言いたいのだ」という切迫した魂の欲求みたいなもの
その魂のバックグラウンドを何も知らない私みたいな読者でも、客観的な事実を辿って音楽のアトモスフィアを感じられるように書かれているのだから、良い本だ。
内容については(村上春樹が望んだとおり)、これだけ音楽のストーリーを知ると聴いて味わってみたいと思わされるものだった。
さて、この本では音楽について感じたことがピタリと文になっていて快感だったということを何より言いたい。
心地よいアコースティックなサウンドに包まれ、良心的な前向きのメッセージに耳を澄ましているだけで、自分たちが今何かにしっかりコミットしているのだという、温かい確信を持つことができた。
容れ物の縁からひたひたと柔らかな水がこぼれ落ちていくような、そのひそやかな美しさは、おそらく天才にしか生み出せない種類のものだろう。
このアルバムにおけるウォルトンの演奏は実に素晴らしい。自信に満ちていて、しかも出しゃばらず、ブラウンとエルヴィンの呼吸に耳を傾けながら、ぴしっと「床まで」ピアノを弾ききっている。
気張ったところのない、見事に自然体のシューベルトである。シューベルトを胸いっぱい吸い込んで、そのまますっと吐き出したら、こんな音楽が出てきました、という感じだ。
いいでしょ、いいですよね。
あまりに表現が見事で内容以上に心奪われた部分すらあった。音楽を聴いて感じたことをこんなふうに表現できるんだっておもしろかった。
言語的に正確に表現することの難しさはあとがきで触れられていた。
感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。
"崩してばらばらにする"というのは分かる、と思う。どう感じたか、強さや規模や濃度や速度、身体のどこで感じたか、どんな順序で感じたか、なぜ感じたか、何が要因になって感じたか。じっくり考える。
"崩してばらばらにする"では徹底して自分の感覚を、自分の感覚で、解体する。
"別の観点から再構築する"では(言葉のとおり受けとるなら)その感覚を他者の目から見たり、その感覚の動きを物質に例えたり、しようとすることだと思う。
普通というか至極当然でびっくりした。これを繰り返していたらあんな表現をひりだせるようになるのか。なりたいな~。
「意味がなければスイングはない」の抜書まとめ | nusumigaki