読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

へもか

憶測以上の確定未満

【4月の読んだ本】息をひそめて本を読むこと他

読書

どうも、rintaroです。

4月に読んだ7冊の感想を書きました。
書いていたら長くなってしまった。

 

4月(7冊)

 

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

観た? オデッセイ観た? わたしは観たよ!
映画「オデッセイ」の原作であるハードSF「火星の人」。

火星探査任務中に砂嵐に襲われたクルーは火星から急遽脱出、しかし運悪くひとり火星に置き去りにされてしまったマーク・ワトニー。どうする!俺!という話。

著者はアンディ・ウィアー。時間があれば惑星探査の綿密なプランを練り脳内で上演している、というNASAオタク。
その能力がいかんなく発揮され、科学オタクたちのわきあいあいっぷりがリアル。

映画では(わたしの中でだけ?)省略されがちだった対立もじっくり描かれていた。

状況が状況だけに物語は最初から最後まですべての判断が究極の選択状態。
できることはすべてやる!できないこともやる!という情熱の技術者チームと、それぞれの立場や組織の事情から渋るNASA経営者チーム。

でも、そもそもこんな全力な救出計画も「宇宙飛行士を見捨てないNASA」という組織の事情(体裁)のためだったのだから、皮肉のような気もした。

物語の魅力はなんといっても火星をサバイブするワトニーの能力、ユーモア。
設定上無理がなく(宇宙飛行士だから屈強な精神は必需品!)あまりに見事。

現実を忘れて心身を任せられるすばらしい小説だった。

ちなみに映画「オデッセイ」は4月27日からすでにデジタル配信されています。 

 

日本料理の歴史 (歴史文化ライブラリー)

たとえばカレーやカリフォルニアロールは日本食だろうか。日本料理とはなんだろう。
正当な日本料理を歴史から考察する「日本料理の歴史」。
実際は(著者も書いていたけど)京料理についての話がほとんど。

平安時代の貴族の本膳料理(一人用の銘々膳がたくさん並べられる形式)からはじまり、室町時代武家文化のなかで本膳料理が形骸化、二膳が主流となり茶の湯と影響しあいつつ二汁五菜という様式が定着、という流れ。

変化していく理由がいちいち日本人らしくて可笑しい。

たとえば本膳料理が形骸化した理由。
本膳料理が武士が君主を歓迎する料理になりパッと見の豪華さが優先されることに。
膳や料理の数が爆増し、金箔や食べられないものでも煌びやかであれば膳に載せまくり、しまいには食べれるものがあまりにないので本膳料理とはべつに"懐料理"という食べられる料理が別の間に準備される始末だったそうな。

この極め方の狂いっぷりをと呼ぶ日本文化。

歴史の視点から正当な日本食を定義したいという著者の意欲、決して新しく登場してくる日本食に否定的でない姿勢が良かった。
どんな歴史的資料をひもといても著者が食卓しか見ていない、研究者という人種のこういうところが好き。

 

七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1)

七王国の玉座」(1996年)は「氷と炎の歌」シリーズの第1部作。現在放映中のテレビドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」の原作。

全部で7部作(予定)の、その第1部作、その上巻が、404ページ
表紙で(ワァ児童書っぽ~い)と舐めていたら上下二段組。重厚か。

重厚さにおいては内容も引けをとらない。
中世ヨーロッパっぽい世界観のファンタジー小説だけど、ファンタジー要素よりもフクザツな人間模様が物語の軸。

ファンタジー要素というのは飛び道具的というか、強力さゆえにルールすらひっくり返してストーリーを根底から破壊しかねない。
が、「七王国の玉座」のファンタジー要素(魔法や異形人やドラゴン)は弱体化あるいはすでに過去の伝説になっていて、未知数ではあるものの人間模様の情勢にどう影響していくのかたのしみですらある。

ドラマでは見落としていた心理描写にあらためて気づくことも多い。

異母兄弟であるジョン・スノウとアリア・スタークの特別に強い兄弟愛であるとか、エダード・スターク(ネッド)の思っていた以上に繊細な父としての苦悩だとか、間抜けなだけだと思っていたロバート・バラシオンが時折見せる哀愁とか、ブラン・スタークの7歳らしいいじらしい思考とか。

というか、王の"手"を務めることになって露呈するネッドの秘密工作に精通してなさーッ! そういう真っ正直さがネッドの魅力でもありそしてスターク家の弱点となった。泣ける。すでにドラマを見てしまったので、どのエピソードを読んでも「在りし日のスターク家」状態で泣く。

このあたりは大事にするものがバレると弱点になるというオーソドックスな展開。
(家訓で宣言しちゃってる家どうなの)

そのぶん、なにが大事なのか分かりにくい人物は信条のハッキリしている人物とちがった魅力がある。

王国の大蔵大臣、ピーター・ベイリッシュの行動原理がキャトリン・スターク(キャット)への愛だとしたら、これがもうこのシリーズで紛れもなく最大のファンタジーだ、と思っていた時期がわたしにもありました。

ピーターが大事なのはピーター自身(たぶん)。
野心家だとバレないよう一見必要のないリスクをとったり(ただ臨機応変の結果かも)、周囲を惑わすための謀略をめぐらす。
あらためて読んでみると物語の半分くらいは彼の手のひらで転がされている。

ストーリーをさらに予測不能にしている人物が、反乱で殺された狂王エイリス・ターガリエンの美しい娘、デナーリス・ターガリエン(ダニー)。
玉座のあるキングズ・ランディングから遠く離れたペントスという都市で、血筋に縋り玉座を奪還すると燃える兄にひたすらビクビクしていたダニー。

そのダニーが結婚相手から贈られた馬で野原を駆けたとき、いままでの自分から解放され全身で自由を感じるシーンがすばらしい。そのときからジワジワと兄の計画に疑問を抱くようになる。
この1.身体で自由を知る、2.視野が広がる、3.現状に疑問を抱く、の3ステップが至極リアルで自然な流れ。

彼女がカリーシ(女族長)として腹をくくり、ときに絶望を味わったりしながらメキメキとパワーアップしていくさまがビンビン伝わってくる。それをドラマでもバリバリ体現してくるのも本当に最高。

しかし玉座をとることがそれぞれにとっての勝利や幸福ではない、とつくづく思う。
幸福のかたちはそれぞれなんだなって。

それぞれの夢や野望や欲望や守りたいものや信条や人間の思惑をこえた脅威や、そういうのがグワーッとひしめきあう。

さて、ドラマは現在Season6が放映中だけど、Season5で既刊原作を使い切っているとのこと(エッ?)。
原作を読んだらドラマより先を知れると思っていたのにィ!

 

ヤング・アダルトU.S.A. (ポップカルチャーが描く「アメリカの思春期」)

ヤング・アダルトU.S.A.」。
アメリカのポップカルチャーを映画、ドラマ、音楽、ファッションからひもとく。

わたしはアメリカも青春も興味ない。でもおもしろかった。
ナポレオン・ダイナマイト」や「40歳の童貞男」「フランシス・ハ」「恋するふたりの文学講座」と観たことのある映画が取りあげられていれば、つい読んでしまうよね。

作品も分野も縦横無尽にまたがって監督や制作やキャストのエピソードが語られる。そしてもっと大きなうねり、時代、文化的背景、これがおもしろい。
アメリカ人にとっての青春をおもしろがりつつも(ハハ…ついていけないな…)って気持ちだった。

が、2010年以降からは"青春を終わらせられない"、"大人になれない"大人たちが描かれるようになってきた話でズガーンとなった。「あの時代はよかった…」ではなくて「"あの時代"がないんだけど…」っていう感覚だ、わたし。

本も終盤にさしかかって、異国の青春文化の話がなぜこんなにおもしろいんだろうと不思議に思いながら読んでいたら、山崎まどかさんが答えを書いてくれていた。

"アメリカについて語るために、わたしたちはイノセンスというフィールドのなかのキャッチャーになるべき。そして自分のなかの永遠に成長しない子どもを見つけるべき。"

 

意味がなければスイングはない

まだ読んでいるところだよ。

意味がなければスイングはない」、村上春樹がだいすきなジャズについて語っている本だよ。
Apple Musicで音源を探して聴きながら読んでいるととてもたのしい!

 

頼むから静かにしてくれ (THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER)

まだ読んでいるところだよ。

レイモンド・カーヴァー全集の第1巻、「頼むから静かにしてくれ」。

全8巻のレイモンド・カーヴァー全集を読むのも、第2巻「愛について語るときに我々の語ること」、第3巻「大聖堂」ときてこれで3巻目。

息をひそめて集中しなければ人物の感情の揺れという本当のストーリーは消し飛んでしまう、あまりに静かな文章。

「言わなくても分かる」というか「言葉にしたら伝わらない」ことがある。あるんだよ。あっていいんだよ。
そこに残された余白が読者のそれぞれの気持ちを受けとめて共感に変える。
なんて優しい小説なんだ。

第2巻で訳者の村上春樹が指摘していたとおりこの第1巻は(ごく控えめにいっても)悲しいストーリーが多い。読んで愉快な気持ちになるものは少ない。
それでも本をまえにすると、息をひそめて不仲な両親の息子や失職中の夫やアル中の妻の目になって彼らの想いを感じとらなければならない気がする。