へもか

憶測以上の確定未満

ポテトサラダの話

ポテトサラダにはみな一言あるのではないだろうか。もちろん私もそのひとりなのでちょっと聞いてほしい。

まず、芋は皮付きのまま蒸す。蒸したほうが水っぽくならない。熱いまま皮を剥くのはたいへんだけど芋の香りを残せる。嫌いでなければニンニクもいっしょに蒸して潰して混ぜると得も言われぬ魅惑的な風味を加えてくれる。芋が熱いうちに潰すのは基本だけど、ここでは酢を混ぜてなめらかなテクスチャに仕上げる。まだ芋から湯気があがっているうちにマヨネーズを混ぜたりするとマヨネーズの油が熱で溶けて台無しになる。

塩で調味してベースはできあがり。

 

ポテトサラダになにを混ぜるか。考えるのはポテトサラダづくりの楽しみのひとつ。

シャキッというタマネギの食感が好きならば、こまかく刻んで水にさらしてから混ぜよう。ちょうど鴨のパストラミがあったのでこれも刻む。ポテトサラダの肉は小さな欠片のほうが一定の食べるリズムを狂わせない。食べるリズムをイメージするのは大事。

マヨネーズに粒マスタードとブラックペッパーをアクセントに加えて今日のポテトサラダは完成。ほんとうは緑色の具材も混ざれば色のバランスが良いけど、ポテトサラダは一品で完璧じゃないくらいの、すこし抜けている、脱力した姿勢がかっこいいと私は思っている。

 

少々の未来

五月二十四日

鏡のまえで顔のほくろを指で隠していくとほくろの多さにあらためて嫌気がさす。あっても許せるほくろはどれだろうとかわるがわる指を浮かしていると、顔にひとつしかないほくろは急に個性を主張しはじめる。

唇のうえにあるほくろは口が軽くて役に立たなそうな人物に見えるし、鼻のしたのほくろは胡散臭く見える。唇のしたに添えられているほくろは慎ましやかな雰囲気があってちょっといい。よく見たら鼻柱の近くにもほくろがある。やたら多い。

鏡から顔を離して手をどかしてみると、それぞれ勝手な主張をしていたほくろの個性が消えるのが分かった。

多くてよかったのかもしれない。少なかったら望まない情報を発していたのかもしれない。自分の現状に自分で納得することが増えた。加齢か。

 

五月二十六日

恋人の過去の恋人のことをどう思っていますか。

私は、じつはお会いしたことがあって、端的に言うと、いまでも憧れを感じているひとです。どういう別れかたをしたのか聞く必要があるとも思えず聞いていないので何も言っていないけれど、恋人の隣にほんとうにふさわしい素敵な方でした。上品でやわらかく、才覚と度胸があり、主張をしない。それに対して私は、と思っています。

逆に、私の過去の恋人(しかも二人も!)に会ったことがあるはずで、どう思っているんでしょう。なにも思っていない気がしてきました。

過去より、現在と少々の未来を思っていたいですね。

 

 

直感

五月九日

二週間くらいつきっきりでやったコンペの返事があり落選したとのことだった。単純にあれが実現しないのもったいないなと思って、そのままつい「なぜですか」と聞いた。

事業主曰く「第一印象では御社だったが社内で検討を重ね他社に決定した」そうだ。正直に言えば挑戦的な計画だったので、マンションデベの”社内で検討”されたら勝つのはむずかしかったんだろう。あとから思った。

チッ、おまえはおまえの第一印象、直感も信じられないのかよ。

直感と考察のバランスについて思う。

漠然と感じる気持ちよさや妙な居心地のわるさを見過ごさないで敏感でいたい。一方でなぜそう感じるのか観察して理由を知りたい。フィーリングにとどめずロジックを組み立てては壊したい。そうして直感を要素に分けて捉えても、要素から直感の再構築はできないような気がする。そういうものを作ろうとした白々しさに、何かが芽生えることはないんじゃないか。だから偶発的なものがひっそり宿る隙が好まれるのではないか。隙ってなんだろう。そもそも直感はそれをもとに考察できるほど正しいことがあるのか。

そんなことを考えていた。

益子陶器市へいくぞメモ

益子春の陶器市へ行ってきた

栃木県益子町で行われる益子春の陶器まつり!
2019年の春の陶器市特設ページ

 

雨のおかげか、おもったより混雑していなかった。

 

あちこちぬかるむので靴はゴツいので行こう。

 

ランチはKENMOKUCAFEに出店していたキッチンスロープのプレート。
びっくりするくらいアーシーなカラーよね(おいしかったです)。

 

アニキの広場、コールドブリューのコーヒーおいしかった。食事もおいしそうなのあったので次は寄りたい。

 

登り窯のあたり雰囲気よかった。

窯のまえで「焼きたての器」が売られていて、焼きたてと言われるとおいしそうだった。

 

うえから、RYOTA AOKIのカップ、田代倫章さんのプレート、関太一郎さんのリムボウル、小皿を買いました。

買いそびれちゃったけど宮田竜司さんの器もよかった。

 

学生時代に憧れていたRYOTA AOKIに再会して買ってしまった。

といってもプレタポルテラインなんだけど、アートピースより使いやすさが考えられていて美しかった。

 

いろいろ調べたことや「こうしてもよかったな〜」と思ったプランをメモとして残しておきます。

a. 一泊二日でいっちゃう

  • 公共の宿、フォレストイン益子に泊まる。
  • 大型連休も関係なく5,400円/人程度、安い。
  • 設計は内藤廣
  • 宿泊予定日の3ヶ月前の月の1日から予約可能。

宿は争奪戦。
いまからリマインダーをセット。

b. 電車+SLでいく

電車は時間通り運行するので良い。
直前にみどりの窓口へ行ったけど整理券は買えず、当日はSLに乗り継ぐ1本前の電車で来た人たちが購入していたので余裕をもって入手したほうがよさそう。

c. 電車で益子、バスで宇都宮コース

せっかく栃木までいったので宇都宮で夕食を、コース。
益子は夜が早くなにもないので。

 

たのしかったのでまた行きたいな。問題は器の収納だな。

脚立

砂糖水を煮詰めながらいつ焦げてくるか、コンロに寄りかかって見つめていると実家でもよくキッチンに居座っていたことを思い出す。

母(ともちろん私)は背がちいさいので高い戸棚の扉を開けるようにキッチンには脚立がいつも置いてある。その脚立を広げてコンロの火やオーブンのまえに据えて脇に挟んでいた本を開けば快適だった。

ホームシックにはならないけどそんなことは思いだす。

熱海フォーエバー2019

日曜日の昼、妹から急に連絡があり、曰く「熱海の再開発が進んでいる。廃墟が失われるまえに行こう」。はたして熱海の再開発が進むのかどうかは別としても熱海は行きたい。

翌週、妹と熱海へ向かった。

駅前の商店街を抜ける。

まず廃墟。

 

堂々のボリュームでそびえていてちょっと驚く。
はしゃいでいるのは妹だけで、たいていの人は通り過ぎる。いくら昭和の観光地とはいえ、この立地に使われない建築が放置された光景を日常としている。廃墟の本場は格がちがう。

 

住宅街を歩いていてもこの廃墟ビューである(正確にはフェンスをちょっとアレした)。雑草を踏んで歩いたせいでセンダングサの種がスカートにもタイツにも靴にも所構わず刺さりまくってしまい、このあとずっと痛い。

 

 

ビーチまで降りてきた。山から波際まで、ホテルで賑わってみえるけどはたしてどれほどの建築が生きているのか。底知れない廃墟力。

 

そのビーチに面している廃墟。右上の剥きだしになった小部屋の天井を支えている単菅パイプが見えるだろうか。潮風にさらされている廃墟を今日も健気に支えている。

このまま散歩してロープウェイへ向かおう。

 

交差点に立つ建設中のまま廃墟になった仮囲いに巣を構えているトンビ。熱海桜がちょっと写っている。

 

幸せそうな家族と公園と廃墟。廃墟の聖地、熱海のなせる日常。

 

公園で幸せそうな家族をうしろから見守っている廃墟。
階段が背骨みたい。

 

日本一短いというロープウェイは宣伝通りあまりに短かくて、ほんのちょっとワクワクしていた自分を慰めたくなるレベル。

 

何が見えるってホテルニューアカオしか見えないじゃないの。

妹も花摘みへいってしまいやさぐれていた頃、中年男性が望遠鏡を覗き「あれが見えるこれが見える」と同行の女性に逐一報告し、女性は一切顔をあげなかった。

 

ああ、昭和の観光地。

 

熱海の観光マップからなかったことになっているような気がする熱海城も展望台からはまるみえである。熱海の黒歴史なのだろうか。

ロープウェイを降りたらランチを求めて(廃墟以外で)賑わっていそうなエリアへ向かう。

 

 

来宮駅すぐの洋食とん一でポークソティー。おいしかった〜。

妹とだいすきなアスパラガスのサラダを頼んだらまさかのホワイトアスパラガス(苦手)だったことはつらかった。

さらなる廃墟を探すべく街へ。

 

こちらのアパルトマン、生きているように巧妙に見せかけているけど駐車場としてしか使われておらず、おそらく建築は死んでいるのではないか。

網戸がやぶれがち。

 

妹が見つけた商店街の妙な路地を通過。

こういう「手前が暗くて奥が明るい」光景がすきなんだけど、伝わるかな。サバンナ効果かしら。

 

純喫茶パインツリーでプリン休憩。

 

熱海七湯という源泉を見つけるとすかさず手をかざしにいく妹。熱かったそう。

 

ここの階段は過去にも写真を撮っているくらい気になっていて、最近「梯子・階段の文化史」を読んで知ったウェルズのカテドラルにあるというSea of Stepsに似ている(個人的な見解)。

 

階段を奥へ進んでも民家しかなかった。

 

そうこうするうちに熱海に夜が訪れた。熱海の夜は早いなんてもんじゃない。

ここで帰ればいいのだけど、北にある古泉「走り湯」は24時間公開されていると妹が主張するので行くことにする。

大きな車道沿いを歩いても排気ガスを浴びせられるだけでなにも面白くないので、海岸側へ分けいった。

 

右側の廃墟の壁だけが残っているのが見えるだろうか。

小雨が振られながら民家と民家の暗すぎる脇道を抜けたり名前のわからない沢を渡ったりするのだけど、とにかく寒気と暗闇がこわかった。

 

開けた場所に出た。そりゃこんな廃墟に見下ろされていれば寒気もするだろう。
廃墟、本領発揮の時刻。

 

走り湯に辿りついた。

走り湯と書かれた実質の洞窟は照明が点いていなくて真っ暗。妹と数メートル進んでは恐怖のあまり何度か引き返した。ここまでも十分にこわかったけど、走り湯はめちゃくちゃこわい。

ここまで来て見ずには帰れないと妹がiPhoneをかざして洞窟を進む。おう、どうしたその度胸。

 

源泉の湯気が充満していて、ライトで照らせば今度は空気が白く光ってしまい先が見えない。

時折ゴボッゴボッと不気味な音が洞窟に反響し怖さのあまり笑いだしそうになっていると洞窟の行きどまりに到着した。ゴボゴボ音は湯の湧く音だった。

古泉を確認し何かをやり遂げた気持ちの私たちは車道へ戻りバスを捕まえて熱海駅へ戻った。

 

駅前温泉で雨と洞窟の恐怖で冷えた身体がポカポカに温まってよかった。

熱海のいろんな側面が見れてたのしかったな。また行きたい。

 

慣れない

公園を囲んで並ぶ黒々とした幹と白い線を引いて散る桜のはなびらが美しくて、雛を連れて帰った日の光景として覚えておこうと信号待ちのあいだじっと見ていた。車が動きだしてしばらくして運転席の母に「名前、トノコにしようかな」と言った。白い羽に混ざる模様が砥粉色にすこし似ていた。

お腹いっぱいになった雛が手のなかで寝はじめたときの、雛と私しか世界に存在しないような幸福感は他にない。加えてまるごと預けられている緊張感が湧いてくる。私が気まぐれに握ったら死んでしまうのに。雛の熱いおなかを包む私の手のひらがむっと湿った。

トノコが死んじゃったと母から連絡があった二日後、会社の昼休みに最寄りの図書館へ黙々と歩きながらそんなことを思いだして、思いだすことも祈ることも死んだものには何も影響しないなと思った。

生きているものが死んだものに関与できることは何もない。何も影響できなくなる。死なれるというのはこういうことだったのか。左右交互に突きだす靴の先を目で追いながら、いまはすでに動くことのない羽と肉と骨の小さな塊になっていて、硬くこわばってしまってすらいるだろうなというところまで考えて、急に取りかえしがつかないと思い知って、歩きながら泣いていた。図書館の自動ドアを通り抜けて本棚と本棚のあいだで立ち止まって泣いていた。平日の昼間のラテン文学の本棚のまえは人がいなかった。本と本のあいだ、文章と文章の、膨大な言葉と言葉のあいだで、私も等しく物語を持ってきて運んでいく存在に過ぎないのだと思うとすこし落ち着いた。

何ヶ月か経って実家へ寄る機会があり、母と父が埋葬してくれた庭の墓も見た。家へ帰ってリビングに入ると何も考えずカゴのほうへ歩いて鳥にただいまと言おうとしている自分に気づいた。まだ鳥がいないことに慣れないんだ。